日本人はなぜ「白肌」にあこがれるのか 欧米とは異なる美のルーツを探る

「色の白いは七難隠す」ということわざがあるように、日本人は昔から「白い肌」を美しいとみなして憧れてきました。
一方で、近年は欧米などの大手化粧品メーカーが、人種差別への懸念があるとして、“美白”をうたった商品の販売を取りやめる動きもあるようです。
白くて美しい肌は「白人中心的な美の基準」なのでしょうか。

古代日本の「赤」から「白」へ

歴史をさかのぼると、古代日本ではまだ「色白肌が美しい」という風潮はなかったようです。当時のお化粧は、赤色の塗料を顔に塗る呪術的な意味合いが強く、メイクは神々との交信のために行うものでした。

 

6世紀後半に中国との交流が始まると、大陸から「紅」や「白粉(おしろい)」などが入ってきます。貴族たちは珍しい化粧品の美しさに魅了され、日本人の心の中に「色白肌=美しい」という感情が生まれました。7世紀には、渡来僧が女性である持統天皇に白粉を献上して喜ばれたという記録もあるそうです。この頃から、化粧は原始的な呪術というより「自分を美しく見せたい」欲求にもとづくものへと変わっていきます。[参考:日本化粧品工業連合会HP]

色白肌は「特権階級」の象徴

平安時代になると、色白が美しさの条件として広く認知されるようになっていきます。『源氏物語』では、主人公の光源氏が色白でほっそりした色男として描かれていました。紫式部や清少納言の肖像画をみても、色白の肌が印象的です。平安貴族のあいだでは、白い肌が美の絶対条件だったことが分かります。当時の日本人は多くが農民で、日焼けした肌が当たり前だったので、白い肌が「働かなくてもいい特権階級」の象徴として憧れられていた側面もあるでしょう。

庶民も色白スキンケア

こうした風潮は江戸時代になっても続き、次第に庶民の女性たちもおしろいや紅で化粧をするようになりました。江戸時代の美容マニュアル『都風俗化粧傳』(みやこふうぞくけわいでん)には、一般女性に向けたお化粧やスキンケアの方法が載っています。

その中には「色のしろきは七難かくすと、諺(ことわざ)にいえり」という一節があり、公家や武家の女性だけでなく庶民層の女性も色白美肌を目指していたことが伺えます。米ぬかを使った洗顔法や、へちまの化粧水など、現代にも通じるような美容法が生まれたのもこの時代です。

玉のようにツルツルすべすべでキメの整った白肌。古くから日本人は、白さに憧れてきたのです。それは白人への憧れというよりも、「もともとの肌の美しさをより引き出したい」という気持ちの現われだったのではないでしょうか。

欧米では小麦肌が「セレブ」のイメージも

一方、欧米では小麦肌のセレブがもてはやされる風潮もあるようです。これは欧米の富裕層が夏のバカンスをリゾート地で楽しむために、小麦肌=セレブの象徴と考えられているからです。日本でも1960年代以降、アメリカ文化への憧れとともに日焼け肌を演出するメイクが流行しました。当時の若者たちは、今よりもずっとアメリカへの憧れが強かったのでしょう。80年代くらいまでは、小麦肌のアイドルが化粧品のポスターを賑わせていました。

90年代のガングロブーム

90年代になると、日焼け肌に真っ白なアイメイクの「ガングロ」が流行し、新しい「ギャル文化」として注目を集めます。欧米由来ではない、日本発の化粧文化が誕生したといえるでしょう。ガングロは世界的にも注目されていたといわれています。

一方で90年代後半からは、再び色白肌がブームに。紫外線が肌にもたらす悪影響が広く知られ、多くの女性がUVケアにいそしむようになりました。ガングロブームは一段落し、ギャルたちの間でも色白の浜崎あゆみが憧れのアイコンになります。2010年代に入ってからは「透明感」「ツヤ肌」などの新たなキーワードも加わり、キメの整った素肌への憧れは再び増しているようです。

いつの時代も「素肌を美しく見せたい」思いは同じ

奈良時代から平安、江戸時代、戦後の昭和時代、そして令和へ。

歴史とともに美の基準は少しずつ変化していますが、いつの時代にも共通しているのは「もともとの素肌をキレイに見せたい」「自分の美しさをより引き出したい」という思いです。世界的にみても、日本人女性はメイクやスキンケアへの関心が群を抜いているといわれ、きめ細やかな素肌をさらに磨きたいという熱心な人が多いようです。その努力はきっと実を結び、あなたの美を引き出してくれるはず。

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